【炎上】結婚後の夫のオープンマリッジ宣言、サレ妻の悲劇と法的リスク

結果する夫婦

【炎上】結婚後の夫のオープンマリッジ宣言、サレ妻の悲劇と法的リスク

電撃結婚しよう。でも、勘違いすんなよ。お互い、恋愛は自由にしようぜ」

2025年電撃結婚で話題になったヒカル&ノア夫婦の間でオープンマリッジ宣言があり話題になりましたが、新婚生活で幸せそうな空気をぶち壊す浮気公言などされたら妻側は到底許容できる話ではありません。

ネット上には、怒りと軽蔑、そして呆れた声が渦巻きました。

「浮気するならプロポーズするな」
「ただの企画でしょ?」
「民度低い」
「ノアちゃんが可哀想すぎる」

多くの女性たちが、この一件に、自らの恋愛や結婚生活で感じてきた、言葉にならない不安や理不尽さを重ね合わせ、まるで我が事のように憤り、そして傷ついています。

例えばこれがイスラム国で一夫多妻制が認められているというなら話は別ですが、日本の民法ではそもそも不貞行為は許されざる事です。

なぜ、夫となった男性がこんな提案をしたのか?その裏にある「既婚なのに独身気分」を味わいたい、あまりに身勝手な男性心理や、「オープンマリッジ」という考え方がありながらも女性をいかに「都合のいいサレ妻」に転落させる非情な現実と、あなたが自分を守るための法的知識をご紹介します。

もくじ

【第一部】炎上の内幕 ― ヒカル・ノアの”プロポーズ被害”事件、全記録

まず、一体何が起きたのか。感情的な議論の前に、事実を冷静に整理しましょう。これは、一人の女性が、公衆の面前で受けた、紛れもない「被害」の記録です。

問題の動画と、”悪魔の言葉”

事の発端は、ヒカル氏が自身のYouTubeチャンネルで公開した一本の動画でした。高級レストランを貸し切り、美しい夜景をバックに、跪いて指輪の箱を差し出す、絵に描いたようなプロポーズのシチュエーション。しかし、彼の口から発せられたのは、天国から地獄へと突き落とすような、信じがたい言葉の数々でした。

「のあ、結婚しよう。俺は、お前との未来を考えてる。子どもも欲しい。でも、俺は縛られるのは無理や。それは、お前も同じやろ? 俺たちは、他の奴らとは違う、新しい関係を築こうや。結婚という形は取る。でも、お互いの恋愛は自由。嫉妬も束縛もなし。その代わり、俺は一生、お前と子どものことは金銭的に面倒見る。どうや?最高の提案やろ?」

この発言に、スタジオは凍りつき、コメント欄は瞬時にして戦場と化しました。結婚の神聖さを根底から覆し、いや、むしろ「金で囲ってやるから、俺の自由(浮気)を認めろ」と宣告するに等しい、あまりにも傲慢で、一方的な提案。多くの視聴者は、これを「プロポーズ」ではなく、精神的なDV、「プロポーズ被害」だと感じられます。

「企画だろ?」冷笑と、「可哀想」という同情の嵐

ネット上の反応は、大きく二つに分かれました。

一つは、「企画だろ」という見方です。「話題になれば何でもいいんだろう」「ヒカルらしい炎上商法」といった声は、彼のこれまでの言動を知る人々からすれば、ある意味で”予定調和”の反応でした。しかし、この冷笑こそが、問題を矮小化し、被害者である女性の心をさらに追い詰める二次加害となり得ます。

そして、もう一つが、「のあちゃんが可哀想」「見ていて辛い」という、ノアさんへの圧倒的な同情の声でした。入籍後の女性にとって人生で最も幸せな新婚時期に後出しされた「浮気公認」という結婚生活の条件。彼女がその場で浮かべた、喜びと困惑と悲しみが入り混じった複雑な表情に、多くの女性が自らの経験を重ね合わせ、胸を痛めたのです。

その正体は「こどおじ」?責任なき支配欲という病理

なぜ、成功者であるはずのヒカル氏が、このような稚拙とも言える提案をしたのか。取材を進めると、その根底に「こどおじ(子供部屋おじさん)」とも共通する、ある種の精神的な未熟さが見え隠れします。

「こどおじ」の本質とは、年齢ではなく、その精神性にあります。すなわち、「親(社会)の庇護のもとで、自由と権利だけは享受するが、それに伴う責任や義務は一切負いたくない」という、究極の依存と自己中心性です。ヒカル氏の提案は、まさにこの構造そのものではないでしょうか。「結婚という社会的な体裁や信用は手に入れたい。妻や子供という”所有物”も欲しい。しかし、夫としての貞操義務という”責任”は負いたくない」。これは、成熟した大人のパートナーシップではなく、都合のいいルールを押し付けてくる、稚拙なワガママに他なりません。

【第二部】「オープンマリッジ」 ― 海外の成功例はなぜ日本で”地獄”に変わるのか

ヒカル氏の擁護派が、かろうじて口にするのが「海外ではオープンマリッジも一つの選択肢だ」という反論です。しかし、それは本当なのでしょうか。その言葉が、いかに日本の現実とかけ離れた、危険な幻想であるかを検証します。

「浮気していいって女性、本当にいる?」同意の裏に潜む、女性の恐怖

そもそも、心から「夫に浮気してほしい」と願う妻が、この世に存在するのでしょうか。心理カウンセラーは、こう指摘します。

「表面的に同意している女性の多くは、本心では深く傷ついています。しかし、

『これを断ったら、彼に捨てられるかもしれない』
『自由を束縛する、心の狭い女だと思われたくない』

という恐怖心から、自分の本当の感情に蓋をして、無理に”理解ある妻”を演じてしまうのです。これは、相手への愛情ではなく、自己防衛の一種。しかし、その我慢は必ず、いつか心を壊す時限爆弾になります」

そう、多くの「同意」は、対等な関係の上の合意ではなく、力の弱い側が、関係を失うことを恐れて受け入れるしかない、非対称な契約なのです。佐藤のあさんが、もしこの提案を受け入れたとしたら、それは彼女がオープンマインドだからではなく、トップYouTuberである恋人を失いたくないという、切実な恐怖心からだったのかもしれません。

海外の成功例と、ヒカル氏の提案の”決定的”な違い

確かに、海外のセレブリティの中には、俳優のウィル・スミス夫妻のように、オープンな関係を公言しているカップルも存在します。しかし、彼らの関係と、今回のようなケースを同列に語ることは、致命的な間違いです。海外でオープンな関係が(稀に)成立するための大前提には、以下の条件があります。

  1. 完全な対等性と相互尊重:どちらか一方が提案し、もう一方が受け入れる、という上下関係ではありません。長年の対話の末に、双方が納得してその形を選んでいます。
  2. 徹底した経済的・精神的自立:妻が夫に経済的に依存している、といった状況はあり得ません。お互いが、明日一人になっても生きていけるだけの地盤を持っています。
  3. 強固な信頼関係という土台:数十年にわたる結婚生活で培われた、揺るぎない信頼関係があって初めて、その上で少し特殊な自由を許容できるのです。

翻って、ヒカル氏の提案はどうでしょうか。それは対等な対話ではなく、一方的な通告です。経済的な庇護を約束することが、むしろ力関係の非対称性を強調しています。ノアさんは私だけを愛して欲しいし私だけを愛してくれないのなら離婚といった発言を無視して「オープンマリッジ」を夫婦の同意として敢行すること自体が、欺瞞に満ちているのです。

【第三部】法律は”サレ妻”を守れるのか? ― 「浮気OK」の合意が無力である残酷な現実

「でも、二人が納得してるなら、法は関係ないでしょ?」いいえ、断じてそんなことはありません。日本の民法は、当事者間の甘い口約束よりも、はるかに厳格に「婚姻の秩序」を守ろうとします。もしあなたが、同じような状況に置かれた場合、法律が最強の味方になることを知ってください。

民法は知っている。「浮気OK」の合意が公序良俗に反することを

弁護士は、こう断言します。「夫婦間において、『お互いに浮気をしても良い』という合意書を交わしたとしても、その合意は、公序良俗(社会の一般的な道徳観念)に反するものとして、裁判所では無効と判断される可能性が極めて高いです」。

日本の法律(民法)における婚姻とは、相互の貞操義務、つまり「あなた以外のパートナーと性的な関係を持ちません」という暗黙の、しかし極めて重要な約束を前提としています。これを当事者間の合意で一方的に反故にすることは、制度の根幹を揺るがす行為であり、法はそれを容認しません。つまり、たとえあなたが一度「浮気OK」と涙を飲んで同意してしまったとしても、後から「やはり許せない」と訴えれば、夫の行為は法的に「不貞行為」として断罪されるのです。

そりゃそうですよね。夫が一方的に浮気OKだからと言って浮気を繰り返していて、その発言が通るなら裁判で離婚も慰謝料請求も起こらない訳ですから。

ただ、気持ちを切り替えて愛情は捨ててATM夫として使うならそれでもいいかもしれません。他にいい男性ができた時点で即解約できますし。

慰謝料請求という、あなたの正当な権利

不貞行為が認定されれば、あなたは精神的苦痛に対する損害賠償として、慰謝料を請求できます。請求相手は、夫と、その浮気相手の両方です。金額は、婚姻期間や不貞の悪質性によって変動しますが、離婚に至るようなケースでは、数百万円に及ぶこともあります。

「でも、同意しちゃったし…」と、罪悪感を抱く必要は一切ありません。前述の通り、その同意は、不対等な力関係のもとで強いられたものであると主張できる可能性が高いのです。決して、一人で泣き寝入りしないでください。

【第四部】”体裁”のための結婚と、”都合のいい女”にならないために

この一件は、私たちに根源的な問いを投げかけます。なぜ、彼らはそこまでして「結婚」という体裁にこだわるのか。そして、私たちは、どうすれば自分を安売りせず、尊厳を守れるのか。

結婚を”ステータス”として欲しがる男たち

自由に遊びたい。でも、社会的な信用や、世間体が欲しい。「妻帯者であり、父親である」というステータスは、特に社会的な成功者にとって、自らの”格”を上げるための肩書きのような意味合いを持つことがあります。彼らにとって、妻は人生を共にするパートナーではなく、自分のステータスを飾るためのアクセサリーであり、子供を産むための機能なのです。だからこそ、「金は出す。でも、心と体は自由でいたい」という、身勝手な論理が生まれます。

「『愛してる』って言葉も、『結婚』って制度も、全部自分の欲望を叶えるための道具にしか思ってない男が多すぎる。女をなんだと思ってるのか。舐め腐ってますね。

あなたが、あなた自身の”最強の味方”になるために

このような理不尽な提案を前に、あなたが自分を守るための武器は、最終的に二つしかありません。それは、「経済的な自立」と「自己肯定感」です。

  1. 経済的な自立:「この人を失ったら、生きていけない」という経済的な依存が、あなたから「NO」という選択肢を奪います。たとえ少額でも、あなた自身が稼ぐ力を持つこと。それが、対等なパートナーシップを築くための最低条件です。
  2. 自己肯定感:「私には、大切にされる価値がある」「こんな理不尽な扱いを受ける人間ではない」と、心の底から信じる力です。自分を安売りしないでください。あなたの価値は、誰かの都合で決められていいものでは、断じてありません。

まとめ:”新しい愛の形”という幻想に、NOを。

ヒカル氏と佐藤のあさんの物語が、今後どのような結末を迎えるのか、私たちには分かりません。しかし、この炎上が社会に投げかけた問いは、極めて重いものです。

「オープンマリッジ」という言葉は、聞こえは自由で、現代的かもしれません。しかし、その多くは、男性側の身勝手な欲望を”多様性”という美しいオブラートで包み、女性に一方的な我慢を強いるための、危険なレトリックです。

「浮気するならプロポーズするな」「浮気するなら結婚するな」。ネットに溢れた、このあまりにも素朴で、飾り気のない言葉たち。これこそが、数千年の歴史の中で人類が培ってきた、パートナーシップにおける、最低限の、そして最も尊い倫理観なのではないでしょうか。

もし、パートナーが、”新しい愛の形”という甘い言葉を囁いてきたなら冷静に判断してください。あなたが求めるべきは、スリルに満ちた”新しい関係”ではなく、心から安らげる”ただ一つの絆”であることを。

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